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彫刻師 中澤茂政さん彫刻師ブログ

野球少年が願いを託す聖地

2024年3月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
世界で活躍する日本人!といえば、今話題のメジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手がいます。
投手と打者の二刀流でアメリカの野球界を席巻し、昨年はシーズンMVPにも選ばれました。21年以来2年ぶり2度目の受賞となり、大リーグ史上初、前回に続き満票でのMVP選出。同じ日本人として、とても誇らしいですね。

一方で期待されながらも受賞に至らなかったのがサイ・ヤング賞です。これは大リーグの年間最優秀投手に贈られるもので、全米野球記者協会に所属する記者の投票によって選出されます。
サイ・ヤングは1890〜1911年まで活躍し、歴代最多の511勝を挙げた投手です。
「サイ」は、188cmの長身から投げ出されるボールが、サイクロン(暴風)のようにうなりをあげる剛速球だったということから付けられたニックネームです。

ヤングのお墓はアメリカのオハイオ州にあります。5月の最終月曜日の「メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)」に、ボールを供えると野球が上達すると伝えられ、多くの子どもたちが訪れるそうです。彼に敬意を表して作られたサイ・ヤング・メモリアル・パークには記念碑もあり、彼の功績を伝えています。

私たち石屋は、石のボールを置いたお墓、大会優勝の記念碑など、野球にちなんだお仕事や、その他にもたくさんの出来事や功績を後世に伝える事に携わることがあります。込められた想いや記された記録はどれも素晴らしいもの。
新しいことを始める際はその道の先人のお墓や記念碑を訪ねて上達を願ってはいかがでしょうか。大谷選手もアメリカで、歴代名選手のお墓を訪ねたかもしれませんね。

 

地球上で最古の花木 ~木蓮~

2024年2月29日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
だんだんと暖かくなってきましたね。今日は春になると桜とともに美しい白色や紫色で街中を彩る「木蓮-もくれん」の話題をお届けします。「木蓮」は「マグノリア」の名前でも有名ですね。空に向かって大きな花をたくさんつける花木で庭木や街路樹としても人気があります。

木蓮の名前は「蓮(ハス)」という花に似ていることに由来しています。この蓮という花は仏教に関わりが深く、仏や慈悲の象徴とされています。そんな蓮に似た花を咲かせる木蓮は「天国に咲く蓮の花」とも言われ、中国では寺院や宮殿などに木蓮を植える風習があるそうですよ。
木々に大きなつぼみがたくさんついた姿は、まるでたくさんの小鳥がとまっているように華やか。開花時期に近寄ると、上品で優雅な甘い香りを楽しむこともできます。

つぼみの先が一斉に北を向くことから、方向指標植物(コンパス・プラント)とも言われています。つぼみがふくらんだ木蓮を見つけた時はちゃんと北を向いているか、確認してみるのも楽しいですね。
原産地は中国南西部。もともと中国では漢方として扱われており、日本にも平安時代以前に頭痛や鼻炎の薬として伝わりました。

また、木蓮は地球上で最古の花と言われています。恐竜が活躍していた白亜紀の地層からモクレン属の化石が発掘されており、1億年以上も前から今と変わらぬ姿で咲き続けているそうですから、とても興味深いですね。その花の大きさや独得のカタチは恐竜たちにぴったり。恐竜たちにとって春の花と言えば木蓮だったのかもしれないと思うと、面白いですね。

大海での大冒険を伝えるお金、石貨

2024年1月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
今年の7月、20年ぶりに新紙幣が発行されます。紙幣に描かれた歴史的著名人も新デザインと共に変わります。 長く慣れ親しんだ1万円札に描かれていた福沢諭吉は「近代日本経済の父」とされる実業家の渋沢栄一になります。2021年に放送したNHK大河ドラマの主人公にもなりましたね。彼は明治初期、出来て間もない大蔵省で日本の近代的貨幣制度を整備しました。この時、私達が普段使っている「紙幣」「円形の貨幣」が誕生したのですが、世界を見渡すと、様々なお金があります。

中でもミクロネシア連邦のヤップ島の巨大な石貨については、一度は聞かれたことがあるのではないでしょうか。
「石のお金」といっても日常の買い物で使うのは米ドルで、石貨は主に冠婚葬祭の儀礼的贈答品や土地の売買などで使用。そのサイズは様々で直径が1~3mという大きなものは、置かれたまま所有権のみが移行するそうです。石貨と名がついているくらいなのでお金としてその昔に流通していたのだろうと思いきや、現在でも使われているというのだから驚きですね。

石貨は20世紀前半までつくられていました。素材はヤップ島では採れない石灰岩で、500km先のパラオ諸島まで出向き、石を切り出して加工。長い航海の末に持ち帰りました。
石の運搬は現代の技術を用いても大変な作業です。まして、数トンもの石を運ぶのは小さなカヌー。太平洋の孤島への復路は、かなりの危険が伴ったはずです。石貨には、そうした大冒険の記憶が刻まれているのです。

「石貨」は島に届くまでの苦労度が高いものほど価値があるそうですが、日々、石と向き合っている石屋としては大いに共感するところがあります。 石貨の実物は東京の日比谷公園や貨幣博物館等、日本でも見ることが出来ます。加工や運搬の苦労に思いを馳せてもらえると嬉しいですね。

石が生み出す迫力の建築物

2023年12月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
明治以降、国会議事堂に代表されるようにランドマークとなる建物には石、それも日本の風土でも耐えられる花崗岩が多く使われてきました。今回は、新しい年のはじまりに、力強さを感じられる石の建築物の話をしたいと思います。

平成に建てられた石の建物でよく知られているものと言えば、東京都庁ではないでしょうか。平成2年に完成した当時はサンシャイン60を抜いて日本一の高さとなり、東京の観光名所の一つとして、令和の現在も人気があります。高さ243メートルに及ぶ外壁にはスペインやポルトガル産の花崗岩が使われました。石の色の違いで表現された直線的で緻密なパターンについて、設計者の故・丹下健三氏は「コンピュータチップ」を表現したとコメントしました。

そして、時代は令和。2020年8月には埼玉県所沢市に隈研吾氏による『角川武蔵野ミュージアム』がオープンしました。高さ30メートルの建物の外壁には、1200トンもの中国産の花崗岩が使われています。
表面の凹凸を残した「割肌仕上げ」を採用し力強さを演出。61面体の建物は武蔵野の土地から湧き出てくるマグマをイメージし、大地からそそりたつ巨大な岩のような建物です。

垂直に伸びる直線で構成された都庁と、多面体で自然物のようなミュージアム。異なる二つの建築には、それぞれの時代の空気感が表れているようです。石も使い方によって大きく印象が変わることにも驚かされます。そんな石の魅力を感じられる建物が増えていくと石屋としても嬉しいですね。

 

お釈迦様が見守っている!?「大丈夫」

2023年11月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
日常の様々な場面で聞く「大丈夫」という言葉。現在では「あぶなげない」ことや、「間違いがない状態」「問題がない状態」という意味でよく使われていています。濁音が3つも含まれていて、力強い響きに安心感を抱きます。「大丈夫!なんとかなるよ。」と相手を励ましたり、自分を奮い立たせたりする場面にもよく使われていますよね。

この「大丈夫」という言葉は、もとは中国の言葉です。「丈」とは元々1メートル80センチという成人男性の身長を基準にした身体尺でした。「夫」は「おっと」という意味ではなく「男性」という意味で、「丈夫」とは「一人前の男性」を表していました。その中でも強くて立派な男性に「大」をつけて「立派な男子」を表すようになりました。そこからそのような立派な人が近くにいてくれれば安心だということから現在の「大丈夫」という意味に転じたそうです。

また、この「偉大な人、りっぱな人、しっかりした人」という意味を持つ言葉が仏教に取り入れられ、仏教用語では「大丈夫」は「お釈迦様」の別名としても使われるようになりました。意味を知ると、「大丈夫!!」と使うたびに、お釈迦様が見守ってくれているような気がしてきます。

折しも、年明けには入学試験シーズンの到来です。受験生の皆さんにも、「大丈夫!!」とあらためて送ってあげたいですね。

石碑が伝える疫病の終息

2023年10月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
長かった新型コロナウィルス感染症の流行も、ようやく落ち着きはじめました。旅行やイベントも開催されるようになり、以前の日常を取り戻しつつあります。今はまだ、しっかり「終息した」とまでは言えない状況ですが、その昔、世界中で猛威をふるった幾多の感染症も終息していったように、新型コロナウイルスもきっとその時を迎えることでしょう。
世界各地にはそういった疫病の流行について記された石碑が多く建てられています。

例えば日本の例では、江戸時代の文政5(1822)年、日本で最初にコレラが流行し、明治時代には数年ごとに大流行を繰り返し、明治時代の45年間の死者は全国で約37万人にも上ったと言われています。全国各地で流行したことから、供養碑も全国各地に建てられています。
埼玉県越谷市の安国寺には、江戸時代の安政6年(1822)建立のコレラ供養碑があり、当時の様子を碑文に残して、亡くなった人々を供養しています。

また、ヨーロッパ各地にはペスト終息の記念碑があります。
有名なのが1694年に建てられたオーストリア・ウィーンの「ペスト記念柱」です。この記念碑は、ペストの終息とオスマン軍との戦いに勝利したことを記念して、皇帝レオポルト1世が建立しました。大理石製で上部にはキリスト教の三位一体像が輝き、擬人化されたペストを天使が退治しているシーンも。日本の石碑とは意味が異なりかなりゴージャスですが、ペスト終焉の証を今に伝えています。

このコロナ禍で疫病退散の妖怪として注目を集めたのが、「アマビエ」。早く終息するようにとの願いを込めて、アマビエの石像があちこちに立てられました。これまで数々の疫病を乗り越えてきたように、このコロナが終息を迎えた時にも供養の碑が建てられるかもしれません。アマビエの石像と共に後世に伝えていってくれることでしょう。

 

お墓で楽しむ芸術の秋

2023年9月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
だんだんと秋めいてまいりました。何をするにも気持ちの良い季節、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋…ですね。今日のお話は“お墓で楽しむ芸術の秋”です。お墓で芸術!?と思われるかもしれませんが、歴史上の人物や著名人が眠っているような古い大きな墓地は、特徴のあるお墓が多いものです。


特にそういう墓地が多い東京をのぞいてみると…例えば府中市にある都立多磨霊園。
ここは1923年(大正12年)に開園した、東京ドーム約27個分という広大な敷地を持つ緑豊かな霊園です。敷地内にはたくさんのお墓が並び、教科書に載っているような偉人や著名人が眠る墓所があちこちに点在しています。霊園が発行している霊園案内図には著名人の墓所の区画番号が一覧で記されているほどです。


霊園内を少し歩いただけでもドーム状のお墓、本を開いた形をした墓誌、胸像や観音像などいろいろなデザインのお墓が目にとまります。中でも個性的なのが、芸術家・岡本太郎のお墓。大阪・万博公園の太陽の塔や、「芸術は爆発だ!」に象徴される際立った個性はお墓にも発揮されています。墓碑はブロンズ彫刻の「午後の日」。真ん丸の目で、ほお杖をついて、いたずらっぽくこちらに笑いかけています。

また、画家・漫画家であった父の一平、作家であった母・かの子のお墓も同じ場所にあり、一平の墓碑は焼き物の「顔」という作品、かの子の墓碑は観音像です。3人のお墓は、小さなスペースを囲む形で向き合うようにたっていて、訪れる人たちを一家で温かく出迎えてくれているようです。
この秋は、晴れた日を選んで、お墓を散歩がてら芸術鑑賞はいかがでしょう。もちろん、他人のお墓ですから失礼のないよう、墓前のご挨拶は手短に。手を合わせたらそっと立ち去りましょうね。

 

石屋がご案内する石どころ探訪「高野山-その2」

2023年8月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
ようやく遠方への旅行など、気兼ねなく出かけられるようになってきましたね。外国からの観光客も戻りつつあり、あちらこちらで賑やかな声が聞こえて来ます。魅力的な場所はたくさんありますが、私たち石屋からはやはり石の話題をお届け。以前お届けした高野山の続編をご案内します。

高野山では道の脇にたくさんの石柱を目にします。これは町石(ちょういし)とよばれ、弘法大師空海が建てた卒塔婆に由来する五輪塔形の石柱です。慈尊院から奥之院まで、参拝するための約24キロメートルの道のりに立てられた道標です。町(ちょう)は、昔使われていた長さの単位で、一町は109メートルに相当し、この石柱はおよそ109メートルおきに置かれています。

この道は「町石道-ちょういしみち」と呼ばれ、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきましたが、今では整備されてハイキングコースとしても知られるようになりました。世界遺産にも登録されている歴史ある高野参詣道のひとつであり、高野山麓や道沿いには、弘法大師空海に由来する史跡や名刹が点在しています。

町石は、町石道の起点となる慈尊院から壇上伽藍の根本大塔までに180基、さらに根本大塔から奥之院の弘法大師御廟までに36基があり、この数は胎蔵界180尊、金剛界37尊を表しているといわれます。元々は木製でしたが、鎌倉時代に石造に建替えられました。

当時の人は、一町ごとに合掌して高野山への歩みを進めたと伝えられています。現在でも多くの町石が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えています。いにしえから続く幾多の参拝者の息吹を感じられそうですね。

人々の心を結びつける盆踊り

2023年7月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
夏祭りや盆踊り大会は夏の行事の代表格。ここ数年はコロナ禍により開催の中止や規模の縮小が相次いできましたが、ようやく通常開催される所も増えてきました。嬉しい限りですね。
盆踊りとは、太鼓や笛にあわせてやぐらを囲んで輪になって踊ったり、踊りながら町中を流したりする参加型の行事ですが、そもそもどうしてお盆には盆踊りをするのでしょうか。

本来、盆踊りはお盆に帰ってきた先祖の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事です。原型は、死者を供養する念仏踊り(自分で念仏を唱えながら踊る)にあります。次第に念仏を唱える人と踊る人に役割が分化し、発展した踊り念仏が盂蘭盆会(うらぼんえ。いわゆるお盆のこと)と結びつき、精霊を慰めたり送り出したりするための行事になりました。
多くの地域で15日の晩に盆踊りをし、
16日に精霊送りをするのもそのためです。

現代の盆踊りは、亡き人を供養するために地元で踊られてきた意味合いを離れ、東京の「東京高円寺阿波おどり」などに見られるように、出身地の異なる都会の人々を結びつける役割を担っているケースも多くあります。こうした新たなタイプの盆踊りは、昭和7年、東京・丸の内の旦那衆が地域振興を目的に企画した盆踊り大会が発祥のようです。百貨店「白木屋」からタイアップした浴衣が販売され、著名な作詞家・作曲家によってオリジナル曲「丸の内音頭」が作られました。この曲は替え歌「東京音頭」として全国に広まり、現在も盆踊りの定番になっているところもあります。

様々な変化を遂げながら現代に息づく盆踊りですが、「人と人とを結びつける」という核の部分は変わることはありません。「人が集まるところに盆踊りあり」。そんな言葉が浮かんできます。
地域と人と先祖をつなぐ「お墓」を長年扱ってきた石屋としては、このコロナ禍を乗り越え、盆踊りが夏の風物詩として、より力強く復活することを信じています。

 

 

 

 

砂浜の色が伝える、大地の歴史

2023年6月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
あっという間に一年も半分を過ぎましたね。梅雨が明けると夏休みがやってきます。コロナもだんだんと落ち着いてきた今年の夏は、多くの方が帰省や旅行を楽しみにしてますよね。旅行会社の店頭にも、様々な旅行パンフレットが並びますが、夏の始まりに行きたくなるのはやはり海ですよね。


島国で海に囲まれている日本では、全国各地に海水浴場があります。これらの砂浜は場所によって色が違うことにお気づきでしょうか?砂は、その土地にある岩石や鉱物などが細かく砕かれてできたもの。ですから、私たち石屋にとっては、砂は“石の子供”のような存在です。砂の色は元となった石の特徴によって異なります。とくに日本には様々な地形や地質があるため、海辺の砂浜の色も多様です。

たとえば鳥取砂丘は、西日本でよく見られる白っぽい砂浜をしています。中国山地に源を持つ千代川の急流によって、山を形成している花崗岩が砕かれ、砂となって日本海に流れ込み、波によって海辺に幾重にも積み重なり、砂浜を作り上げたそうです。
また、鎌倉・湘南などの砂浜は黒っぽい色をしています。その成り立ちは富士山や箱根山を形成する玄武岩質の砂がいくつかの川によって相模湾に流れ込み、海岸に堆積したと考えられるそうです。

その他にも、沖繩といえば「南の島の白いビーチ」というイメージがありますが、この砂浜は岩石ではなく、貝殻やサンゴからできています。
砂浜はその土地の成り立ちを表しています。この夏、観光や海水浴で、砂浜を眺めた時は、ご自分が立っている大地が出来るまでの、はるかな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。