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彫刻師 中澤茂政さん彫刻師ブログ

お釈迦様が見守っている!?「大丈夫」

2023年11月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
日常の様々な場面で聞く「大丈夫」という言葉。現在では「あぶなげない」ことや、「間違いがない状態」「問題がない状態」という意味でよく使われていています。濁音が3つも含まれていて、力強い響きに安心感を抱きます。「大丈夫!なんとかなるよ。」と相手を励ましたり、自分を奮い立たせたりする場面にもよく使われていますよね。

この「大丈夫」という言葉は、もとは中国の言葉です。「丈」とは元々1メートル80センチという成人男性の身長を基準にした身体尺でした。「夫」は「おっと」という意味ではなく「男性」という意味で、「丈夫」とは「一人前の男性」を表していました。その中でも強くて立派な男性に「大」をつけて「立派な男子」を表すようになりました。そこからそのような立派な人が近くにいてくれれば安心だということから現在の「大丈夫」という意味に転じたそうです。

また、この「偉大な人、りっぱな人、しっかりした人」という意味を持つ言葉が仏教に取り入れられ、仏教用語では「大丈夫」は「お釈迦様」の別名としても使われるようになりました。意味を知ると、「大丈夫!!」と使うたびに、お釈迦様が見守ってくれているような気がしてきます。

折しも、年明けには入学試験シーズンの到来です。受験生の皆さんにも、「大丈夫!!」とあらためて送ってあげたいですね。

石碑が伝える疫病の終息

2023年10月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
長かった新型コロナウィルス感染症の流行も、ようやく落ち着きはじめました。旅行やイベントも開催されるようになり、以前の日常を取り戻しつつあります。今はまだ、しっかり「終息した」とまでは言えない状況ですが、その昔、世界中で猛威をふるった幾多の感染症も終息していったように、新型コロナウイルスもきっとその時を迎えることでしょう。
世界各地にはそういった疫病の流行について記された石碑が多く建てられています。

例えば日本の例では、江戸時代の文政5(1822)年、日本で最初にコレラが流行し、明治時代には数年ごとに大流行を繰り返し、明治時代の45年間の死者は全国で約37万人にも上ったと言われています。全国各地で流行したことから、供養碑も全国各地に建てられています。
埼玉県越谷市の安国寺には、江戸時代の安政6年(1822)建立のコレラ供養碑があり、当時の様子を碑文に残して、亡くなった人々を供養しています。

また、ヨーロッパ各地にはペスト終息の記念碑があります。
有名なのが1694年に建てられたオーストリア・ウィーンの「ペスト記念柱」です。この記念碑は、ペストの終息とオスマン軍との戦いに勝利したことを記念して、皇帝レオポルト1世が建立しました。大理石製で上部にはキリスト教の三位一体像が輝き、擬人化されたペストを天使が退治しているシーンも。日本の石碑とは意味が異なりかなりゴージャスですが、ペスト終焉の証を今に伝えています。

このコロナ禍で疫病退散の妖怪として注目を集めたのが、「アマビエ」。早く終息するようにとの願いを込めて、アマビエの石像があちこちに立てられました。これまで数々の疫病を乗り越えてきたように、このコロナが終息を迎えた時にも供養の碑が建てられるかもしれません。アマビエの石像と共に後世に伝えていってくれることでしょう。

 

お墓で楽しむ芸術の秋

2023年9月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
だんだんと秋めいてまいりました。何をするにも気持ちの良い季節、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋…ですね。今日のお話は“お墓で楽しむ芸術の秋”です。お墓で芸術!?と思われるかもしれませんが、歴史上の人物や著名人が眠っているような古い大きな墓地は、特徴のあるお墓が多いものです。


特にそういう墓地が多い東京をのぞいてみると…例えば府中市にある都立多磨霊園。
ここは1923年(大正12年)に開園した、東京ドーム約27個分という広大な敷地を持つ緑豊かな霊園です。敷地内にはたくさんのお墓が並び、教科書に載っているような偉人や著名人が眠る墓所があちこちに点在しています。霊園が発行している霊園案内図には著名人の墓所の区画番号が一覧で記されているほどです。


霊園内を少し歩いただけでもドーム状のお墓、本を開いた形をした墓誌、胸像や観音像などいろいろなデザインのお墓が目にとまります。中でも個性的なのが、芸術家・岡本太郎のお墓。大阪・万博公園の太陽の塔や、「芸術は爆発だ!」に象徴される際立った個性はお墓にも発揮されています。墓碑はブロンズ彫刻の「午後の日」。真ん丸の目で、ほお杖をついて、いたずらっぽくこちらに笑いかけています。

また、画家・漫画家であった父の一平、作家であった母・かの子のお墓も同じ場所にあり、一平の墓碑は焼き物の「顔」という作品、かの子の墓碑は観音像です。3人のお墓は、小さなスペースを囲む形で向き合うようにたっていて、訪れる人たちを一家で温かく出迎えてくれているようです。
この秋は、晴れた日を選んで、お墓を散歩がてら芸術鑑賞はいかがでしょう。もちろん、他人のお墓ですから失礼のないよう、墓前のご挨拶は手短に。手を合わせたらそっと立ち去りましょうね。

 

石屋がご案内する石どころ探訪「高野山-その2」

2023年8月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
ようやく遠方への旅行など、気兼ねなく出かけられるようになってきましたね。外国からの観光客も戻りつつあり、あちらこちらで賑やかな声が聞こえて来ます。魅力的な場所はたくさんありますが、私たち石屋からはやはり石の話題をお届け。以前お届けした高野山の続編をご案内します。

高野山では道の脇にたくさんの石柱を目にします。これは町石(ちょういし)とよばれ、弘法大師空海が建てた卒塔婆に由来する五輪塔形の石柱です。慈尊院から奥之院まで、参拝するための約24キロメートルの道のりに立てられた道標です。町(ちょう)は、昔使われていた長さの単位で、一町は109メートルに相当し、この石柱はおよそ109メートルおきに置かれています。

この道は「町石道-ちょういしみち」と呼ばれ、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきましたが、今では整備されてハイキングコースとしても知られるようになりました。世界遺産にも登録されている歴史ある高野参詣道のひとつであり、高野山麓や道沿いには、弘法大師空海に由来する史跡や名刹が点在しています。

町石は、町石道の起点となる慈尊院から壇上伽藍の根本大塔までに180基、さらに根本大塔から奥之院の弘法大師御廟までに36基があり、この数は胎蔵界180尊、金剛界37尊を表しているといわれます。元々は木製でしたが、鎌倉時代に石造に建替えられました。

当時の人は、一町ごとに合掌して高野山への歩みを進めたと伝えられています。現在でも多くの町石が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えています。いにしえから続く幾多の参拝者の息吹を感じられそうですね。

人々の心を結びつける盆踊り

2023年7月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
夏祭りや盆踊り大会は夏の行事の代表格。ここ数年はコロナ禍により開催の中止や規模の縮小が相次いできましたが、ようやく通常開催される所も増えてきました。嬉しい限りですね。
盆踊りとは、太鼓や笛にあわせてやぐらを囲んで輪になって踊ったり、踊りながら町中を流したりする参加型の行事ですが、そもそもどうしてお盆には盆踊りをするのでしょうか。

本来、盆踊りはお盆に帰ってきた先祖の霊を慰める霊鎮め(たましずめ)の行事です。原型は、死者を供養する念仏踊り(自分で念仏を唱えながら踊る)にあります。次第に念仏を唱える人と踊る人に役割が分化し、発展した踊り念仏が盂蘭盆会(うらぼんえ。いわゆるお盆のこと)と結びつき、精霊を慰めたり送り出したりするための行事になりました。
多くの地域で15日の晩に盆踊りをし、
16日に精霊送りをするのもそのためです。

現代の盆踊りは、亡き人を供養するために地元で踊られてきた意味合いを離れ、東京の「東京高円寺阿波おどり」などに見られるように、出身地の異なる都会の人々を結びつける役割を担っているケースも多くあります。こうした新たなタイプの盆踊りは、昭和7年、東京・丸の内の旦那衆が地域振興を目的に企画した盆踊り大会が発祥のようです。百貨店「白木屋」からタイアップした浴衣が販売され、著名な作詞家・作曲家によってオリジナル曲「丸の内音頭」が作られました。この曲は替え歌「東京音頭」として全国に広まり、現在も盆踊りの定番になっているところもあります。

様々な変化を遂げながら現代に息づく盆踊りですが、「人と人とを結びつける」という核の部分は変わることはありません。「人が集まるところに盆踊りあり」。そんな言葉が浮かんできます。
地域と人と先祖をつなぐ「お墓」を長年扱ってきた石屋としては、このコロナ禍を乗り越え、盆踊りが夏の風物詩として、より力強く復活することを信じています。

 

 

 

 

砂浜の色が伝える、大地の歴史

2023年6月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
あっという間に一年も半分を過ぎましたね。梅雨が明けると夏休みがやってきます。コロナもだんだんと落ち着いてきた今年の夏は、多くの方が帰省や旅行を楽しみにしてますよね。旅行会社の店頭にも、様々な旅行パンフレットが並びますが、夏の始まりに行きたくなるのはやはり海ですよね。


島国で海に囲まれている日本では、全国各地に海水浴場があります。これらの砂浜は場所によって色が違うことにお気づきでしょうか?砂は、その土地にある岩石や鉱物などが細かく砕かれてできたもの。ですから、私たち石屋にとっては、砂は“石の子供”のような存在です。砂の色は元となった石の特徴によって異なります。とくに日本には様々な地形や地質があるため、海辺の砂浜の色も多様です。

たとえば鳥取砂丘は、西日本でよく見られる白っぽい砂浜をしています。中国山地に源を持つ千代川の急流によって、山を形成している花崗岩が砕かれ、砂となって日本海に流れ込み、波によって海辺に幾重にも積み重なり、砂浜を作り上げたそうです。
また、鎌倉・湘南などの砂浜は黒っぽい色をしています。その成り立ちは富士山や箱根山を形成する玄武岩質の砂がいくつかの川によって相模湾に流れ込み、海岸に堆積したと考えられるそうです。

その他にも、沖繩といえば「南の島の白いビーチ」というイメージがありますが、この砂浜は岩石ではなく、貝殻やサンゴからできています。
砂浜はその土地の成り立ちを表しています。この夏、観光や海水浴で、砂浜を眺めた時は、ご自分が立っている大地が出来るまでの、はるかな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

嘘をついたら舌を抜かれる!?閻魔大王はどんな存在?

2023年5月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
「閻魔様に舌を抜かれるからね!」小さい頃、嘘をついたり悪さをしたりするとこんな事を言われた経験がある人は多いのではないでしょうか。子供心に、閻魔様はとっても怖い存在でしたが、一体、どんな方なのでしょうか。

仏教では、死後四十九日がたつと、六道(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄)のいずれかに生まれ変わるとされています。この行き先を決めるための審判は、初七日を第一回目とし一週間ごとに、十人の王(十王) によって行われます。閻魔大王はその中で最高位の存在で、五七日(死後三十五日)に登場します。

閻魔大王の審判は、不思議な鏡で悪い行いを映し出すので、言い逃れはできないと言われています。ちなみに四十九日の後にも百か日、一周忌、三回忌と審判が続き、善行をしたり、子孫により追善供養がされたりした場合は地獄行きを免れる場合もあるとか。子孫の行いが審判に影響するとは、驚きですね。これも生前の行いが反映されているという事でしょうか。

また、十王には本地仏といい、本来の姿とされる仏や菩薩があると言われています。閻魔大王の本地仏はなんと地蔵菩薩。怖い顔の裏に私たちを教え導いてくれる優しさが隠されていると思うと、そんなに恐れることはないのかもしれませんね。

今年のGWは、“母の日参り” しませんか

2023年4月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
木々が芽吹き、新緑が美しい季節となりました。この春から、新しい生活に踏み出した人もいるのではないでしょうか。5 月にはゴールデンウィークが控えていますね。行楽に出かけたり、実家に帰省したりと予定を立てている人も多いでしょう。

ゴールデンウィークのすぐ後の第2日曜日には、母の日があります。
母の日は世界各国で祝われており、その由来も様々ですが、日本の母の日は、アメリカにならったもの。はじまりは1850~1860年代にまでさかのぼります。

アメリカでは、アン・リーブス・ジャービスという女性が、「母の日ワーク・クラブ」と称し、社会活動や平和運動を行っていました。その後、アンの娘のアンナ・ジャービスが、母親が5月9日に亡くなったことをきっかけに、「母親に感謝する日」として、母の日を広めたそうです。
母の日は亡くなった母親に思いを寄せた、一人の女性がはじめたものなのです。

実家に帰省する際には、母の日のプレゼントを用意していくという人も多いと思います。一方、すでに他界されているという人は、現在の生活を報告しに、墓前へちょっと早い“母の日参り”に行ってはいかがでしょうか。新しい生活に少し疲れた人も、きっと、またがんばろうという気持ちがわいてきますよ。

 

 

 

 

ダイヤモンドと墓石との関係とは!?

2023年3月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
4 月の誕生石といえばダイヤモンドですね。「永遠の輝き」をキャッチフレーズに婚約指輪に使われる最高級の宝石ですが、実は私たち石屋とも深い関係があります。

ダイヤモンドの和名は「金剛石」。「金剛」は、お経にも登場する言葉で、「金属の中で最も硬いもの、何にも破壊されない強固なもの」という意味があります。大きな特徴である“硬さ”が名前に表れているんですね。お寺の入り口で睨みをきかせる金剛力士が手にもつ武器・金剛杵(こんごうしょ)は、ダイヤモンドでできているのだとか。

同様に「ダイヤモンド」も「極めて硬い」を意味するラテン語に由来しています。そんなことからも元は硬さが一番の特徴とされていたことが分りますね。ダイヤモンドを美しく光らせる研磨の加工方法が確立されたのは16世紀。それまでは宝石としての評価は低く、色鮮やかなルビーやサファイアのほうが人気だったといわれています。

現在、採掘されたダイヤモンドの約8 割は工業用として利用されています。この工業用ダイヤモンドの登場によって、石を切ったり磨いたりする石材加工技術が飛躍的に高まりました。例えば、墓石加工の現場でも、石を切断する際は円盤状のカッターを使いますが、じつはそのギザギザの刃一つ一つにもダイヤモンドの粉が含まれています。よくよく考えてみると、宝石店、石屋の両方に縁のある「強くて美しい」宝石は他になく、石としての魅力がより感じられますね。

 

 

 

野山でひっそり春を告げる花「カタクリ」

2023年2月28日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
早春の山を最初に彩る花の1つが「カタクリ」です。林や山の斜面などに静かに顔を出し、薄紫色の可憐な花をうつむき加減で咲かせる様子は多くの登山者に愛され、花言葉の「初恋」のようにまるで恥じらっているようです。切ない恋心を表すような姿にこの言葉はぴったりですね。

「カタクリ」は「カタコユリ」の略で「カタコ」とは「傾いたかご状の花」という意味です。日が当たると花びらが強く反り返る花の形が似ていることに由来していると言われています。春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごすため姿が見えなくなるカタクリ。「スプリングエフェメラル-春の妖精」とも呼ばれ、その可憐な姿はまさしく妖精のようですね。

料理に使う「片栗粉」は、その名のとおり、元はこの花の地下茎を砕いてとったデンプンのことを意味していました。江戸時代は、食用だけでなく、消化がよいことから病後の滋養薬としても使われ、お湯に溶かして飲ませていたとも言われています。しかし、カタクリから作られるデンプンはとても少量であったため、原料となるカタクリが多く採取されたことで江戸時代末期には激減してしまいました。

今ではその数がどんどん減り、珍しい花になってしまった「カタクリ」。花が咲くまでに数年かかるとされ、保護活動が必要な花の1つになっています。可憐な春を告げる妖精の姿をこれから先も見られるよう、大切にしていきたいですね。
※現在は主にジャガイモからとったデンプンが片栗粉として販売されています。