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彫刻師 中澤茂政さん彫刻師ブログ

嘘をついたら舌を抜かれる!?閻魔大王はどんな存在?

2023年5月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
「閻魔様に舌を抜かれるからね!」小さい頃、嘘をついたり悪さをしたりするとこんな事を言われた経験がある人は多いのではないでしょうか。子供心に、閻魔様はとっても怖い存在でしたが、一体、どんな方なのでしょうか。

仏教では、死後四十九日がたつと、六道(天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄)のいずれかに生まれ変わるとされています。この行き先を決めるための審判は、初七日を第一回目とし一週間ごとに、十人の王(十王) によって行われます。閻魔大王はその中で最高位の存在で、五七日(死後三十五日)に登場します。

閻魔大王の審判は、不思議な鏡で悪い行いを映し出すので、言い逃れはできないと言われています。ちなみに四十九日の後にも百か日、一周忌、三回忌と審判が続き、善行をしたり、子孫により追善供養がされたりした場合は地獄行きを免れる場合もあるとか。子孫の行いが審判に影響するとは、驚きですね。これも生前の行いが反映されているという事でしょうか。

また、十王には本地仏といい、本来の姿とされる仏や菩薩があると言われています。閻魔大王の本地仏はなんと地蔵菩薩。怖い顔の裏に私たちを教え導いてくれる優しさが隠されていると思うと、そんなに恐れることはないのかもしれませんね。

今年のGWは、“母の日参り” しませんか

2023年4月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
木々が芽吹き、新緑が美しい季節となりました。この春から、新しい生活に踏み出した人もいるのではないでしょうか。5 月にはゴールデンウィークが控えていますね。行楽に出かけたり、実家に帰省したりと予定を立てている人も多いでしょう。

ゴールデンウィークのすぐ後の第2日曜日には、母の日があります。
母の日は世界各国で祝われており、その由来も様々ですが、日本の母の日は、アメリカにならったもの。はじまりは1850~1860年代にまでさかのぼります。

アメリカでは、アン・リーブス・ジャービスという女性が、「母の日ワーク・クラブ」と称し、社会活動や平和運動を行っていました。その後、アンの娘のアンナ・ジャービスが、母親が5月9日に亡くなったことをきっかけに、「母親に感謝する日」として、母の日を広めたそうです。
母の日は亡くなった母親に思いを寄せた、一人の女性がはじめたものなのです。

実家に帰省する際には、母の日のプレゼントを用意していくという人も多いと思います。一方、すでに他界されているという人は、現在の生活を報告しに、墓前へちょっと早い“母の日参り”に行ってはいかがでしょうか。新しい生活に少し疲れた人も、きっと、またがんばろうという気持ちがわいてきますよ。

 

 

 

 

ダイヤモンドと墓石との関係とは!?

2023年3月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
4 月の誕生石といえばダイヤモンドですね。「永遠の輝き」をキャッチフレーズに婚約指輪に使われる最高級の宝石ですが、実は私たち石屋とも深い関係があります。

ダイヤモンドの和名は「金剛石」。「金剛」は、お経にも登場する言葉で、「金属の中で最も硬いもの、何にも破壊されない強固なもの」という意味があります。大きな特徴である“硬さ”が名前に表れているんですね。お寺の入り口で睨みをきかせる金剛力士が手にもつ武器・金剛杵(こんごうしょ)は、ダイヤモンドでできているのだとか。

同様に「ダイヤモンド」も「極めて硬い」を意味するラテン語に由来しています。そんなことからも元は硬さが一番の特徴とされていたことが分りますね。ダイヤモンドを美しく光らせる研磨の加工方法が確立されたのは16世紀。それまでは宝石としての評価は低く、色鮮やかなルビーやサファイアのほうが人気だったといわれています。

現在、採掘されたダイヤモンドの約8 割は工業用として利用されています。この工業用ダイヤモンドの登場によって、石を切ったり磨いたりする石材加工技術が飛躍的に高まりました。例えば、墓石加工の現場でも、石を切断する際は円盤状のカッターを使いますが、じつはそのギザギザの刃一つ一つにもダイヤモンドの粉が含まれています。よくよく考えてみると、宝石店、石屋の両方に縁のある「強くて美しい」宝石は他になく、石としての魅力がより感じられますね。

 

 

 

野山でひっそり春を告げる花「カタクリ」

2023年2月28日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
早春の山を最初に彩る花の1つが「カタクリ」です。林や山の斜面などに静かに顔を出し、薄紫色の可憐な花をうつむき加減で咲かせる様子は多くの登山者に愛され、花言葉の「初恋」のようにまるで恥じらっているようです。切ない恋心を表すような姿にこの言葉はぴったりですね。

「カタクリ」は「カタコユリ」の略で「カタコ」とは「傾いたかご状の花」という意味です。日が当たると花びらが強く反り返る花の形が似ていることに由来していると言われています。春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごすため姿が見えなくなるカタクリ。「スプリングエフェメラル-春の妖精」とも呼ばれ、その可憐な姿はまさしく妖精のようですね。

料理に使う「片栗粉」は、その名のとおり、元はこの花の地下茎を砕いてとったデンプンのことを意味していました。江戸時代は、食用だけでなく、消化がよいことから病後の滋養薬としても使われ、お湯に溶かして飲ませていたとも言われています。しかし、カタクリから作られるデンプンはとても少量であったため、原料となるカタクリが多く採取されたことで江戸時代末期には激減してしまいました。

今ではその数がどんどん減り、珍しい花になってしまった「カタクリ」。花が咲くまでに数年かかるとされ、保護活動が必要な花の1つになっています。可憐な春を告げる妖精の姿をこれから先も見られるよう、大切にしていきたいですね。
※現在は主にジャガイモからとったデンプンが片栗粉として販売されています。

 

花見といえば梅だったの?

2023年1月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
立春(2 月4 日)を過ぎると、寒さが続くなかにも少しずつ春の気配が感じられるようになってきます。梅の開花が聞かれると、桜が咲くまであと少し。お花見を心待ちにしている人も多いのではないでしょうか。

桜は富士山とともに日本の象徴ともされ、日本人に愛されてきました。私どもの仕事でも、お墓に桜の花の彫刻を彫りたいというご要望をよくいただきます。お墓のデザインにまで登場するほど日本人になじみ深い桜ですが、時代を遡ってみると元々は、お花見といえば梅を見ることだったそうです。

その昔、梅は奈良時代に中国から伝わったといわれ、当時編纂された「万葉集」でも桜より梅を詠んだ歌が多く見られます。梅を詠んだ歌が約100首前後あるのに対し、桜を詠んだ歌はおよそ、その3分の1くらいだそうです。
当時の貴族の優雅な風習といえば「歌を詠む事」でした。外国産の花ということで、梅を愛でることが当時の流行だったのかもしれませんね。中国からやってきた梅を見ながら、歌を詠む会を開く。これが現在の花見の原型になったといわれています。

日本に自生していた桜の人気が高まったのは平安時代以降のこと。江戸時代には上野や飛鳥山、向島、御殿山に桜が植えられ、桜の下で飲食を楽しむ、今のようなお花見が盛んに行われるようになりました。
可憐な梅に、はなやかな桜。お花見の対象がどちらであっても、春を待ちこがれ、その開花を心待ちにする気持ちはいつの時代も変わらないものですね。

どう違う?お寺と神社のお参りの仕方

2022年12月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

新春はお寺や神社にお参りに行く人も多いですよね。いざお参りに行ったとき、お賽銭を入れるタイミングや柏手の有無など迷ってしまうことがあります。この機会にお参りの仕方をおさらいしてみましょう。

お寺と神社では共通する部分と異なる部分があります。
まず、お寺は入口にある山門で一礼してから境内に入ります。門の敷居は踏まずにまたぐよう気をつけましょう。
神社は鳥居の前で一礼して境内に入ります。参道の中央は神様の通る道とされているので、左右どちらかの端を進みましょう。

次は共通で、参拝に向かう前に手水舎で手を清め、口をすすぎます。参拝場所についたら軽く一礼。鐘などの鳴らし物がある場合は鳴らし、お賽銭を入れます。
次が違うところで、神社では「二拝二拍手一拝」として、二回、90 度くらいの深いおじぎをし、二回柏手(かしわで) を打ち、もう一度おじぎをします。
一方、お寺では拍手はせず静かに手を合わせる「合掌」をし、礼をします。お寺では数珠をもつとよいでしょう。

ちなみに神社の「二拝二拍手一拝」は、戦後に定められた比較的新しい作法。出雲大社は「二拝四拍手一拝」となっているなど、神社によっても違いがあるようです。気になる場合は事前に調べていくようにしましょう。

感謝の気持ちを伝える言葉「ありがとう」

2022年11月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

今年もあとわずかになりました。この時期になると、今年一年の感謝を伝える機会も増えるため、普段より多く「ありがとう」という言葉を使いますよね。
普段、何げなく使っているこの「ありがとう」という言葉。語源は仏教に由来するとも言われています。

「ありがとう」は、漢字で書く「有難う」が由来とされています。有難うという言葉は、「有る」ことが「難しい」と書き、文字どおり「あり得ないこと」を意味していましたが、転じて「めったにないことを感謝する」という意味で使われるようになりました。

仏教に由来する元になる話として「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」があります。
目の見えない海亀が百年に一度だけ海面に顔を出す。そのとき広大な海に浮かんでいる一本の丸太の小さな穴に頭を入れることは、ないと言っていいほど難しい。
しかし、それ以上に人間に生まれることや仏教の教えと出会うことは奇跡的で有り難いことだ。と説いています。

そんな、めったにないことへの感謝の思いを言葉にしたのが「有難う」です。これは元々、神や仏に対してのみ使われていた言葉ですが、今日では日常的に使われています。そんな由来を知ると、「ありがとう」と伝えるのはもちろんですが、「ありがとう」を少しでも言ってもらえる行動を意識するのも大切かもしれませんね。

100年の時を超えた石の灯台

2022年10月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

今日は何の日かな?と調べてみるとたくさんの記念日があることに驚きます。
11 月11 日は、「灯台の日」だそうですよ。「数字の1 を灯台に見立てたから?」と思いきや、1896 年(明治元年)、日本で最初の洋式灯台である「観音埼灯台」(神奈川県横須賀市)の起工日に由来しているそうです。

江戸時代末期、西洋の国々と結ばれた江戸条約の中で、日本各地に灯台を建てる約束が交わされたことに始まり、明治期には約120基の灯台が建てられました。なんとその半数以上の64 基が令和の現在も活躍しています。さらにそのうち40 基近くの灯台が石造(鉄、れんが、コンクリートとの混合構造を含む)です。戦後は鉄骨コンクリート造が増えましたが、明治期には、石は耐久性に優れるとして、産地が近くにある場合は多く使用されていました。

石造の灯台のなかでも、私たち石屋として特にご紹介したいのが、角島灯台(山口県下関市)と男木島(おぎしま)灯台(香川県高松市)です。灯台は目立つようにと、通常は白、もしくは黒、赤との縞模様に塗装されますが、この2 基は無塗装で、石の風合いが生かされています。

しかも、角島灯台は徳山御影石、男木島灯台は庵治石(あじいし)と、どちらも墓石でも使われる、耐久性と美しさを兼ね備えた石で作られています。こうした石造の灯台は、これからも風雨をものともせず、凛とした佇まいで広い海を見守り続けてくれることでしょう。

 

古来より愛された「ススキ」

2022年9月30日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

全国各地に広く分布する「ススキ」は、日本人なら知らない人はいないほど身近な植物の一つですね。古くは万葉集に「ススキ」の和歌が数多く収録され、源氏物語や枕草子などにも描写が出てきます。秋風にたなびく黄金色のススキの様は秋の訪れをしみじみと感じさせる風情があります。

「ススキ」の語源は諸説ありますが、「すくすくと生い茂るさま」を表すとも、細い意味を表す「ス」を重ねて、草(キ)がついた物、とも言われています。細長くて華奢なイメージの「ススキ」ですが、痩せ地でも良く育ち、あまり土壌を選ばず頑丈な根を伸ばして育ちます。茎はとても固く丈夫で、山火事の後に一番最初に生えてくるのもススキだそうですよ。

中秋の名月に月見団子と共にお供えするのもススキです。これにも諸説ありますが、稲穂に似たススキを飾って「豊作を願う」という意味があるとされています。また、ススキは神様の依り代と信じられてきたため、魔除けの効果もあると考えられてきたそうです。
ついつい月見団子に目が行きがちですが、今年はススキも忘れずに飾りたいですね。

ススキといえば茅(カヤ)葺屋根の材料としても有名です。茎に多くの油分を含む為、耐水性が高く雨に強いので、屋根材として古くから利用されてきました。
生活に根差し、秋の七草の一つとしても万葉の時代より愛されてきた「ススキ」。この秋はぜひいろいろな視点から「ススキ」を愛でてみるのはいかがでしょうか。

 

秋を彩る彼岸花、「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」

2022年8月31日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

夏が終わりお彼岸の時期になると、墓地や田んぼのあぜ道などで長い緑の茎に赤い花を咲かせる美しい花が群生しているのを見かけることも多いのではないでしょうか。
「彼岸花 ヒガンバナ」、別名を「曼珠沙華 マンジュシャゲ」という中国原産の多年草の植物です。

「曼珠沙華」はサンスクリッド語で天界に咲く「赤い花」という意味があり仏教の経典にも登場します。すっと伸びた茎の先端には数個の花が輪のようにつき、まるで夜空に浮かぶ花火のよう。その名のとおり、河辺や墓地に群生して咲く様子は、この世の風景ではないかのようです。海外ではきれいな花として、とても人気があります。

しかし、日本では墓地のまわりに咲いていることが多いため不吉なイメージが強い花。なぜ墓地のまわりに咲いていることが多いのでしょうか。それにはしっかりとした理由があります。

昔の墓地は土葬が一般的でした。そのため、野ネズミやモグラなどが墓地を荒らすこともあったそうですが、彼岸花には有毒成分があり、それらを防ぐために墓地のまわりに植えられるようになったそうです。

彼岸花には、曼珠沙華という別名の他にも、毒を持つこと、墓地に多く植えられたことから、「地獄花(じごくばな)」「死人花(しびとばな)」など怖い別名も多数あります。全国各地には数百~1000種類もの別名があるとか。どんな別名があるか調べてみるのも面白そうですね。