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彫刻師 中澤茂政さん彫刻師ブログ

時を知らせるストーンサークル

2020年11月28日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。

 

コロナ禍⼀⾊となった2020年もあと少し。⽂房具店や最近ではコンビニの店頭にカレンダーが並び、当店とお付き合いの業者さんによる年末の挨拶では来年の⼿帳を頂いたりする時期になりました。

 

現代に⽣きる私たちは1年の流れをこうした暦で当たり前のように知ることが出来ますが、古代の⼈たちはどうしていたのでしょうか。

ところで、古代⼈が建てたストーンサークルという⽯づくりの遺跡をご存知ですか?その中でもイギリスにある「ストーンヘンジ」は最⼤50 トンにもなる巨⽯が使われた巨⼤な遺跡です。紀元前2500年頃に⽴てられとされていますが、なぜ建てたのかは謎に包まれています。祭祀場や、礼拝堂、はたまたUFOの発着場だったという説もあるほどです。

 

ただ、1年の中でも夏⾄の⽇に、⼊り⼝にあたる⼤きな⽯と中央の祭壇のような⽯を結ぶ直線上から太陽が昇るように作られていることから、古代⼈は天⽂や暦について詳しい知識を持っており、このような巨⼤⽯造物に表したことは確かなようです。

規模は違いますが、ストーンサークルは⽇本にも存在しており、中でも代表的なのが秋⽥県にある「⼤湯環状列⽯」です。つくられたのは縄⽂時代後期(約4000年前)。万座と野中堂とよばれる2つのサークルがあり、その直径はそれぞれ52メートル、42メートルで⼤きさは⽇本最⼤です。

 

このストーンサークルは、墓地でもあり、また暦を知る⽅法でもあったと考えられています。驚くことに、この2つのサークルの中⼼を結ぶと、夏⾄の⽇没の⽅向を指すことが知られています。

 

このことから⽇本における縄⽂⼈も、太陽の動きを元にして⼀年間の暦を把握していたことが推測されます。また、そのライン状の中⼼に細⻑い⽯がたち東⻄南北の⽅向に⼤きな⽯を配置した、⽇時計状の組⽯も存在しています。

古代⼈の時にかける情熱を感じることが出来るストーンサークルは、スマートフォンで時間を当たり前のように知っている私たちにとって⾮常に興味深く、⼤地に⽯が円上に配置されている様にはとてもミステリアスなものを感じます。

 

それは太古の⼈々の⼿にした素材がそのままの姿で、⽣きた証を伝え続けている「⽯」ならではの⼒もあるかもしれませんね。

菊は花の「⽇本代表」!?

2020年11月1日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
仏壇やお墓に供える花といえば、菊というイメージがありますよね。しかし、元々は仏事とはあまり関係がない、観賞⽤として⼈気の花だったようです。菊は⽇本を象徴する皇室の家紋に使われているイメージもありますが、江⼾時代は庶⺠の間でも園芸⽤として親しまれていたそう。

そんな⽇本⼈に⻑く愛されてきた花なので、仏花としても使われるようになったと⾔われています。

菊は元々、中国から渡ってきた外来種です。平安時代の『古今和歌集』あたりから菊を詠んだ歌が登場するようになり、この頃から⽇本で馴染みのある花になったことがうかがわれます。

園芸ブームによって品種が⼀気に増えたのが江⼾時代。当時は花型の変化が楽しめる品種が求められ「江⼾菊」「嵯峨菊」「肥後菊」など全国各地で独特の発展を遂げた菊は「古典菊」と総称されました。
その多彩さは幕末後に訪れた外国⼈を魅了し、本家の中国に逆輸⼊され、ヨーロッパでは特にイギリスの園芸育種に⼤きな影響を与えるほどだったそうです。

江⼾菊(写真↓)

皇室の紋章となったのは、鎌倉時代に、後⿃⽻上皇(1180 〜 1239)が菊の紋をとても気に⼊っていたことに由来するそうです。今、アニメの影響で⽇本⼑に興味を持つ若い⼥性が増えているというニュースを⾒ましたが、この後⿃⽻上皇は⾃ら⼑を作っていたと伝わるほどの⼑剣好き。その⼑剣には菊の紋が刻まれています。

その後、代々の天皇に引き継がれ、皇室の紋章が菊花紋章と定められたのは⼤正15年(1926)のことです。

江⼾幕府の葵紋は当時、将軍家以外の使⽤は厳禁とされていましたが、菊花紋の使⽤は⾃由とされたため、和菓⼦や仏具の飾り⾦具の意匠に使われてきたことで、今のように⽇本全国、⽣活の中で⾝近に⾒かける存在となりました。

菊を調べていくと、昔から⼈々に愛され続けてきたことが分かりました。
⽇本の春を華やかに彩る、花の中でダントツの⼈気を誇る「桜」に対して、秋の花「菊」はちょっと地味な存在…と思いきや、実はパスポートの表紙の絵柄として世界中を旅していることもお忘れなく。実は「花の⽇本代表」かもしれませんね。

「いただきます」の⼼を表す、⿂の供養碑

2020年10月1日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
⻑い梅⾬の後に急にやってきた暑さが格別に厳しく感じられた今年の夏ですが、もはや暑さもこれまで、⼀安⼼です。夏バテで⾷欲をなくしていた⼈には、待ち遠しい⾷欲の秋でしょう。
秋は⿂もおいしい季節。この時期が旬の⿂には、サンマ、カツオ、アジ、タイ、カンパチ、マグロといった、お寿司のネタやお酒のお供に重宝するメジャーどころが揃っています。

さて、⼀昨年まで、⿂市場の移転でニュースになっていた東京の築地⿂市場。当時「場内」と呼ばれていた場所が豊洲新市場へ移転していきましたが、「場外」と呼ばれる場所は今でも多くの店が営業を続けています。そして、そのすぐ近くにある波除稲荷神社には⿂の供養碑が並んでいることで知られています。
“すし塚”、“活⿂塚”、 “海⽼塚”、“鮟鱇(あんこう)塚”、 “蛤⽯” …こうした碑を建てたのは、築地の仲買や関連の組合など、⿂介を扱って商いをする⼈たち。すし塚は東京都鮨商⽣活衛⽣同業組合が昭和47年に建⽴。⽯碑には、「あまたの⿂介の霊を慰めとわに鎮まれかしと祈り」と刻まれています。

ほかに⽟⼦塚、昆布塚もあり、昆布塚は、平成28年に建てられています。なにかと効率化が進む中でも、供養の⼼はしっかりと今に受け継がれていることを実感します。⾝近な⽣き物への供養は、仏教とともに広まった不殺⽣の思想によるもの。けれど、こうした供養碑は、⽇本以外の国では⾒られないそうです。

⾷欲の秋、⾷べ物をいただく側の私たちも、⽣き物への感謝の気持ちを忘れないようにしたいものですね。

おはぎは⽇本ならではのスイーツ

2020年8月1日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
⼀年でいちばん暑い季節となりましたが、皆様元気にお過ごしですか?
お盆、お彼岸と続くこの時期、お墓参りをしていただくとご先祖様もきっと喜ばれると思います。もちろん、暑さには気を付けていただいて…。

今⽇は⽯の話題から離れて、「供養の⾷」について書いてみようと思います。

昔からお彼岸の和菓⼦と⾔えば「おはぎ」「ぼたもち」。

どちらも、もち⽶とうるち⽶(ご飯になるお⽶)を混ぜて炊き、つぶしてあんこをつけたものです。

つまりどちらも材料は⼀緒で、春と秋のお彼岸によって呼び⽅が異なります。春に咲く牡丹の花にかけて「ぼたもち」(牡丹餅)、秋に花が咲く萩にかけて「おはぎ」となります。また、花の咲く様から、つぶあんのものをおはぎ、こしあんをぼたもちとしているところが多いようです。(地域性や諸説はあるようです)

「暑さ寒さも彼岸まで」という四季の変化に富んだ、⽇本ならではの⾔葉があります。
そんな⽇のご馳⾛に、昔の忙しい農家では、おもちより簡単に作ることの出来る⾏事⾷として、この「おはぎ」「ぼたもち」が、今のように定着したのかもしれません。

また、あんこの元となる⼩⾖はその⾚⾊から、⾚飯や⼩⾖粥など、お祝いや魔除けに使われる⾷材です。さらに、昔の⼈にとって砂糖といえば、気軽に使うことの出来ない⾼級⾷材だったはずです。

⽇本の古⺠家は「夏仕様」で作られてきたと⾔われるほど、昔の⼈にとっても夏の暑さは1年間の中で特別なものでした。

秋のお彼岸を迎え、暑い⽇々の終わりをご先祖様に感謝しながら味わう、そんな「おはぎ」の⽢味は格別だったのではないでしょうか。
「おはぎ」や「ぼたもち」は⽇本の⾵⼟と供養⼼に根ざした、奥深〜いスイーツ!?と⾔えそうですね。

夏の夜空を⾒上げて

2020年7月17日

こんにちは。愛知県豊田市の中澤⽯材店です。
コロナウィルス感染防⽌のために、東京オリンピックをはじめ、夏の甲⼦園など様々な恒例イベントが延期や中⽌となった今夏ですが、夏の⾵物詩、花⽕⼤会もその⼀つになってしまいました。
⽇本の打ち上げ花⽕は、戦国時代に発達した銃で使う⽕薬の技術が、平和な江⼾時代になってから娯楽や鑑賞⽤へと⽣かされるようになったと⾔われています。

欧⽶のニュースを⾒ていると、花⽕は主に新年のカウントダウンの歓声と共に打ち上げられていたり、建国記念⽇といったお祝いの⾏事などで上げられているのを⽬にします。⽇本でも遊園地のアトラクションなどでは年中上がっていますが、馴染みのある地域の花⽕⼤会と⾔えば、ほとんどが毎年7⽉下旬から9⽉にかけて上げられているのではないでしょうか。
その理由を探るために⽇本の花⽕⼤会の歴史を紐解くと、娯楽とはまた別の意味をもっていることがわかります。

隅⽥川花⽕⼤会(東京都墨⽥区) は、1733 (享保17) 年、8 代将軍吉宗が⼤飢饉の死者供養と悪病退散を祈って「⽔神祭」を開催し、慰霊のための「施餓⻤」で花⽕を打ち上げたのがその始まり。また、熊野⼤花⽕⼤会(三重県熊野市) は、お盆の供養に花⽕を打ち上げ、その⽕の粉で灯籠を焼いたことがその由来とされています。

このように、⽇本の夏の花⽕は、納涼とともに供養の意味合いが込められています。華やかでありながら、どこか懐かしさや記憶を蘇らせる花⽕。この夏は、夜空に広がる⼤輪を⾒上げる機会は無くなってしまいましたが、⼩さな線⾹花⽕の光の芸術を、ご家族とご先祖様で楽しんではいかがでしょうか。

今年も雨の季節がやって来ました

2020年6月22日

卒業式、入学式といった、子供たちには大切な折り目となる行事もままならなくなってしまった今年ですが、自然は変わらず四季折々の変化を見せてくれています。春を過ぎた気持ちも薄いままですが、東海地方では6月10日、梅雨入りが発表されました。

 

平年より2日遅いとのことですが、外出自粛生活を余儀なくされ、平年の季節感が忘れがちになっている方も多いのではないでしょうか。

 

その点、私ども石屋は毎日のように墓所に出かけますので、季節感には敏感です。特に雨が降ると仕事もストップするので、毎朝天気予報のチェックが欠かせません。石工事では、濡れた石は滑りやすくなって危険ですし、接合用のボンドも効かなくなってしまいます。

 

このように、気の抜けない梅雨の季節ですが、雨に濡れた石の表情は、また違った魅力があります。しっとりと表面を覆った水が光を反射して、石の表面の凹凸を映し出し、金属やプラスチックのような人工物にはない、豊かな表情を見せてくれます。

 

緊急事態宣言下のGWは、豊田市内の墓所も例年よりは少なかったのですが、ご家族やお一人でお墓参りに来られている風景が見られました。人と人のつながりが意識される中だからこそ、ご先祖様とのつながりを大切にされている方がいらっしゃることを実感します。

 

県外移動も緩和された今でも、法事などで、ご先祖を偲ぶために集まるということに躊躇されているご家族も多くいらっしゃるかと思いますが、ご安心ください。ご家族、ご親族が笑顔でお墓参りできるタイミングで、今回の出来事をお墓のご先祖にお話してあげてください。お墓は(そこにいるご先祖も)いつでも、そこにありますから。

 

※当店では、豊田市内にお墓をお持ちの方の、お参りの代行も承っております。お気軽にお問合せください。